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プロフィール
HN:
sug-u(村田藤吉)
性別:
男性
職業:
医療関係でほぼ雑用
趣味:
無い
自己紹介:
ハワイ生まれ。関東と大阪で育ち、87年〜10年ほど東京で過ごし、現在関西僻地在住。
過去の経歴は謎に包まれた怪人吸血忌男爵。
アシ歴、持ち込み歴、読み切り短編、商業誌に掲載された歴多数。
まぁ誰にも相手にされない、異端なカウンターカルチャー、前衛&アングラ・エログロナンセンス暗黒耽美部門。
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いざ進めよ、いばらの道を。 漫画家「復帰」?「脂肪」?オッサンのボンクラシャンソン日記。 自分ではオルタナないし、アングラ系部門だと言ってますが、あまりこだわらないで行こうかと… 年取ってもまるくなりまへ〜ん!
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09年の暮からココのブログ、止まちゃってたんやな。



09年の暮から、僕に何かあったんか?というと、いや別に大したことも無く。

・PCが壊れ、そのまんま放置しとったちゅーんがブログ止まった原因か?

僕は別にPC使えないなら使えないで平気な人間で、ネットから情報収集もしないしな。



僕の周りの友人がみんなMac使ってたから、んじゃ僕もMacで!みたいな感じでずっと使ってたワケだけど、

何となくWindows買って、納品されたんが震災後。

Macがいかに使いイージーだったか、現在身にしみてます(笑

Winにしたんは、ソフトが沢山あって面白そう&安い!というのが理由。

Winと云えば、エロゲだろう(笑



Winユーザーでエロゲやってない男なんて皆無なのは自明。

なので、僕も張り切ってエロゲを買おうと思ってたら、どっこいオタク事情に詳しい知人に止められた。

「お前、ラノベ読んだことあんのか? どーせ、お前はゲーム自体はげしく飽き性なんで絶対途中で放り出しまうやろ」

確かに僕は、ラノベって一冊も読んだこと無いんだ、これが(笑

どうも、そう言い放たれると自信が無くなった(笑

エロマンガ描いてるのに、エロゲやったことないって、どういうこっちゃ?と我ながら不思議に思うが(笑

なので、最初に買ったソフトは「コミPo!」だったという(笑



あと、09年の暮から、何かあったのかな~?と考えてみると、

あ、親族が立て続けに亡くなったっけなぁ。

交通費考えたら恐ろしくなるくらい、実家まで、もう何度も往復したっけ。

バイクで行こうとも考えたけど、遠過ぎて無理っす(笑

まず、バイクはETC使えるようにしてないし、高速走れても、たぶん京都通過した辺りでぶっ壊れるんじゃなかろうか?(笑

昔は性能で選んだバイクに乗っとった。

デンジャラスな250の2スト車とか、400の水冷4気筒車とか。

今のバイクはズバリ、見た目で選んだファッションバイクである。250の空冷単気筒!

レトロでカッチョイイエンジンなのだが、レトロなだけに笑えるほど全くパワーが無い!

高速乗ったら、まぁ平均120キロくらいで走るわな。無理無理!(笑 冬場でもエンジン焼ける(笑

僕はオイルクーラー設置してたのにかかわらず、オーバーヒートさせて、修理に30万くらい?(かなり昔のことなんではっきり覚えてないけど)吹っ飛んだ歴があるのだよ…

おとなしく、新幹線で実家へ行ったさ。実家は最寄り駅に新幹線止まるしな。

昨年、母も他界した。



何か心境の変化はあったのか?ちゅーと、よくわからん。

母は最期まで、アンティークドールを創り続けたような変人で、なんつーか少女性を失わなかったと云ったらいいか?

少女みたいだった。

母の遺したアトリエも、少女シュミに彩られた部屋だった。

僕は漫画版「風の谷のナウシカ」の連載が終わらないうちに、家を出て上京した。

母の部屋から全巻揃った「ナウシカ」が出てきて、笑ってしまった。

「AKIRA」もあったし、手塚治虫、萩尾望都も代表的なのは揃っていた(笑

ヴィクトリアンなフリフリのドレス、艶やかな着物。

人形の服ばかり。

人形自体は、母に縁があった人たちがほとんど持ち去ってしまい、バラバラ死体の残骸のようなものしか残っていなかった。



僕は自分をすごくマザコンだと思っていたのだが、なんかマザコン気質が喪失したように思う。

母つっても、一人の少女だったのだなと思うとなお更だ。



ひとつ、ユングくさいネタを。

「纏足」

その言葉と意味を、僕が教わったのは母からだったりする。普通、母が子に語るようなことではない。しかも僕はまだ小学校だった。

あまりにフェティッシュじゃないか。

グレート・マザーとはよく云ったものだ。



僕はマンガを描くスピードが2倍くらい速くなった。

あと、たんこ本刊行にさえこぎつければ、完全にマンガだけで食っていけそう。

更にアングラ嗜好にも拍車がかかり、
もう、気兼ねしないで下ネタが描けるのだ。




檸檬の花が狂い咲き

歓喜の縫い目を愛撫して

マリアの子宮は砕け散り

てふてふミタマ風となり


あやつり人魚のしたたる鮮血

両面蒼ざめ遁避に尽くし


蜜柑の葉にナミアゲハ

まことの夜を招ぐ神話

デカルト遊戯のお姉妹

てふてふミタマ風となる


黄昏人形の濡らす蠱惑に

凍てつき黒色 目覚めり



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前回の記事から。

「真・女神転生ストレンジジャーニー」も「ペルソナ3ポータブル」も買ったけど、途中で止まってま。

確かに、面白いよ。

でもそれ以上に、マンガ制作の方が面白い。というか面白さが違うか。

「ドラクエ9」もクリアしてからが本番な感じだったけど、その本番、結局ちょろりとやっただけで終わった。

面白かったんだけどね。

Wiiに関しては、まったくやりたいと思うゲームって皆無なんで、購入予定も無し。

PS3とPSPだけあればいいじゃん。

その後なんか買ったっけ?

「タクティクスオウガ運命の輪」と「キャサリン」くらいか。

確かに、これまた面白かった。良ゲー。

が、またしても途中で止まったまんま(笑



自分の中ではゲーム自体が終焉を迎えてしまったのかもしれない。

「真・女神転生3ノクターン」が最高に面白かった。それが自分に取っての最後のゲームっぽい気がする。

そのゲームのスタッフはもう揃うことは無い。それゆえ、もうゲームに期待することは無くなった。

自分に取ってゲームとは、もうささやかなシュミでしかない。



前回の記事から。

やたらとモテたい!とアピってるが、まだ若かったのかオレよ(笑 アホだな。

今はもういいですわ。モテたい? う~ん、モテないよりはイイんじゃないかしらん。

でも、メンドクサイよね。



4、5年くらい前まで、専門学生やら女子高生の友達がいたってのが、今じゃ信じらんねぇ。

今も若い女の子がからんでくることもあるけど、どう対応していいのやら全くわからん。

何を考えてるのかわからんところもあるし、歳が離れ過ぎててエイリアンのような怖さがある。

4、5年くらい前の僕は全然平気で対応していた。まぁ、水商売やってて、その辺鍛えられてたからか。

その当時、遊んでた女の子のプリクラが、現在も大量に残っているんだけど、アルバム買って貼って、記念にとっておくか?(笑

コスプレプリクラなんかもあるし、コスプレしてる子の生写真も大量に。中にはアルバムごといただいたものまであったりする。



一番ネタになりそうなのは、当時女子高生だった子で、やたらと自分はおっぱいが大きいということをアピってくる子がいた(笑

僕は、おしりと足にフェチなので、おっぱいの大きさにこだわりは無い。というかおっぱい自体どうでもいいもんだから、アピらてはナチュラルにスルーしていた(笑

その子からも、プリクラよく貰ってたんで、たまにはパンチラプリクラおくれ~とよく言ってた気がする、当時のボンクラなオレ。

パンチラなんて恥ずかしいよ!と言ってたくせに、ある日、

ケータイに着信があってびっくりのけぞる。なんと、自分の自慢の生おっぱいをドーンと写メしてきたのだった。

なんというか、生々しくて引いてしまい、コーフンする余裕もなく、

当時遠恋だったとはいえ、相方に見られでもしたら大変なことに(笑

びびって速攻削除しやした。



そうだ、当時遠恋だったんだなー、オレ。

それをいいことに遊び廻ってた?(笑 ような気もする(笑 正直言うと。

自宅に女の子泊めたこと、かなりあるな… でも、おかしなことにはなったこと無し。だいたいオールでどんちゃんしてたとかだしな。

普段、ロリィタなのに、なんちゃってセーラー服で来やがった子もいた。それでも理性を失うことはなかった。相方と別れるようになるのだけは避けたいと思っていたからに他ならないからだ。

女の子と二人きりで遊ぶ、自宅に泊めるだけでもアウトな気がするが、

僕の相方は寛大で、その程度ではそんなうるさく言わなかった。モチロン、みな事後報告で(笑)多少怒られはしたが(笑



まぁ歳の離れた子には、エロいことしたい衝動にブレーキがかかるというのもある。

せいぜい、女の子が寝てる間に、その子の髪をヘンテコな髪型にしたり、枝毛探しの旅に出たり、

コート着たまんま寝た子には、そのポケットにローター(実用じゃなくて、電池入りで動くけどストラップ)のスイッチオンしてしのばせたり、まぁそんな程度のセクハラ?いたずらしかしてない。



つい、数ヶ月前だったか、当時自宅に泊めてやったことのある女の子から、唐突にメールがきてびっくりした。

もう今となっては、メンドクサイし、コスプレ嬢とかその手の人とは、すっかり話合わなくなってしまったので、

返信せず。



コスプレ写真見せてもらい、目の保養もいいんだけどね。

人間関係自体極力控えたい。

殺人を犯さない、ノーマン・ベイツでよい。

関わったら、それはそれでネタになるのかもしれんけどね。



ここんところ、なんか心が弱ってる時期な気がしている。
ずっと漫画作業もスランプぎみだし、まぁ焦ってるのもあるかと思う。
性格的に過去をくよくよとひきづってしまいやすい。

なんかオーケン本の読み過ぎもよくない気がしてきた。
暫く、オーケン本封印しようかな。
オーケンワールドって、オレにとって少しなら薬なるが大量だと毒になってしまうようだ。

オレの場合、オーケン本で昔の想い出と戯れ、母体回帰状態にでもなってるんじゃないかという気がする。まさしく胎児状態だな。



三沢光晴はやっぱし、プロレスリングNOAHの社長と団体のトップレスラーの二足のわらじで、本当に忙し過ぎたんだなぁと思った。カラダを休めてる暇なかったんやな。
プロレス界自体人気が低迷してるから、余計あちこち駆けずり回って…
かつ、お酒も大好きな方だった。
三沢といえば、エメラルドフロージョンでもランニングエルボーでもなく、ワイパーという感じだったなぁ。
ワイパー、それは額に流れる汗を、車のワイパーのように指でピンとはじく仕草のことだ(笑
んなこと書いたら、恐いプロレスファンに怒られそうだが。
しゃべると、よく「ぶっちゃけ」と言ってたな。ぶっちゃけ話が好きな三沢よ、永遠に。

齋藤彰俊の放ったバックドロップだけが原因じゃないと思うのに、彰俊宅に嫌がらせする輩がいるとか。
彰俊が余計気にしたらどないすんねん。
私も「ぶっちゃけ」という言葉を使わせてもらうと、新日本時代の彰俊は好きじゃなかったけど、三沢のNOAHで戦うようになってからの彰俊は面白い選手だと思うようになったんで、リングから離れるようなことになったら泣くぞ。

あ、今、なんか秋山と杉浦のシングルをモーレツに観たくなってきた。
早くカラダを万全にしてくれ、秋山。


三沢でやるせねぇと思ってたら、テッド・タナベまでとは…
更には、もひとつショッキングな訃報が…
なんと、漫画家のSABEさんの死去… まだ相当若かったのでは?と思い調べてみたら、享年41歳。
なんかよく原稿落とすタイプの漫画家って長生きしそうなイメージがあったんだが。
といっても、アフタヌーンで描いてた「世界の孫」は連載終了まで一度も落とさなかったので、すげぇと思っていた。ちなみに無性にイカが食いたくなるような内容だ。
アフタヌーンなので下ネタをごまかしながら描いてるところも笑えて、なかなか気に入っていた。

SABEさんは漫画界においてヒジョーに重要なポジションにいらしたんではないかという気がして悔やまれてならない。
エロ漫画の最大手の雑誌(だと思われる)「快楽天」に、エロ漫画ではない漫画を描いてらした。そういう漫画家は今という時代において貴重だと思うのだ。

80年代の美少女誌と最近の美少女誌とでは全く内容が違う。
80年代のフールズメイトと、ビジュアル系で埋め尽くされた最近のフールズメイトくらい違う。
80年代の美少女誌は必ずしもエロが主役ではなかった。
最近の美少女誌はどうだろう? ほとんど全ページエロな描写で埋め尽くされ、単なるオカズとしてのツールになり果てていて、当然読み物としてはツマラナイ。
80年代の美少女誌はエロアニメではないOVA化ということも何度かあったし、
岡崎京子、駕篭真太郎、「強殖装ガイバー」の著者(名前知らない)なども美少女誌から出て来た。藤原カムイもだな。外薗昌也は週刊少年チャンピオンデビューだけど美少女誌に描いていた時代もあったなぁ。
調べればまだまだいると思われる。
漫画として面白いものが結構載っていたような気がする。

そういうのが最近は皆無になったとまでは云わないけれど、ヒジョーに減った。

ホントにSABEさんのような漫画家を失うことは、今の漫画界において痛い損失ではなかろうか。
いや、SABEさんの漫画界におけるポジション云々以前に、ファンとしてもっともっとSABEさんの漫画読みたかったよ。

先週に続いて全日本プロレスのことをちょっと書こうと思ったんですが、先送りにでもします。

昨日、居酒屋で呑んでたら何度か一緒にプロレスを観に行ったマイミクの男の子からメールが来た。
さぁ、ビールがんがん呑むでぇ〜と思った矢先の事。

件名「三沢死亡」

その旨を伝えるメールだった。
とたんにテンションが下がり、酒の味が分らなくなった。


広島での13日の三沢の試合、このところ体調悪かったとも聞く。なのでダメージ軽減のため、タッグパートナーを体格はジュニアの小川良成じゃなくて、ヘビー級の潮崎豪にしていたのかもしれない。
プロなら体調管理も仕事だし、それに対して矛盾してるけれども、また体調崩してても出ないといけないこともあると思う。
リングドクターがいなかったのはどうかと思うが、運が悪かったというしかないのか。
試合観てたわけじゃないけど、
齋藤彰俊はかなりウェートがある。それに加え急角度のバックドロップになってしまったんじゃないか。
体調崩して注意力がなくなってて、ふいにきたバックドロップならば、受け身取り損なうことだってあると思う。いくら受け身の名手とはいえ。

馳浩を意識不明にした、後藤達俊のバックドロップを思い出した。
馳のように、「オレちょっと臨死体験しちゃったぜ〜」とか言って、むくりと起き上がらないものかと、ずっとTVもネットも付けっぱなしにしていた。


日本で初めてプロレスの試合中の事故が原因で死者が出たのは、97年だった。これまた奇しくも広島でのこと。
女子プロレスラーのプラム麻里子がパワーボムを受けて、そのまま意識不明。
翌日、脳挫傷で死去。
JWPは唯一観てた女子プロ団体でもあったし、プラム麻里子が死去した試合でのタッグパートナーは確かボリショイキッドだったと思う。
私は覆面の女子プロレスラーのボリショイが何気に好きだった。

それに次ぐ、三沢光晴まさかの試合中の事故が原因による死去。

享年46歳。まだまだ試合を観たかった。
橋本真也にしてもそうだけど。

昨年は一度もプロレスリングNOAHを観に行かなかったが、一昨年は行った。
一昨年、大阪府立第二競技場で観た三沢が私にとって生で観た最後の三沢だった。
初めて三沢の試合を観た時は得意のエルボーがとてつもない轟音を発してたのに驚いた。
それでも三沢は手加減していると言っていた。

個人主催で知り合いが三沢を招いてトークショー&呑み会も開いた。
下ネタばかり言っていて、女性陣はエロガッパだと言って笑っていた。
カラオケではアニソンばかり歌ってたという。

鈴木鼓太郎のキャラクターのプロデュースも三沢がしたような気がしてならない。
お前はガンダムオタクキャラとして売れ!みたいな(笑

なんか、三沢社長率いるプロレスリングNOAHは憎めない選手が多い。どこか可愛いというか。
未婚でリングが恋人と言っているコバケン、ホモくさいアニキな秋山、イケメンで可愛い顔のリッキー・マルビン、アグレッシブなKENTA、卓越したレスリングセンスの持ち主の丸藤、NOAHにきてから可愛いキャラになった齋藤彰俊、なかなか強いけどキャバクラ通い癖は直ったのか杉浦など、なかなか気になる選手が揃っている。

コバケンももう結構カラダがガタガタかもなぁ。
秋山頑張ってくれ。と思ったらヘルニアで欠場かよ。

「ファイプロZ」で三沢光晴 対 橋本真也というドリームマッチでもやるかな。


5日。
帰る日だった。
ネコちゃんの状態が更に悪化してるらしい。居間にこなくなってしまう。どうも動けなくなってしまってるようだった。
名前を呼ぶと尻尾をふって答えるのに、答えなかった。立とうとしてもべちゃっと倒れてしまって立てない。
小さく呼吸だけが続いていた。

その日の朝はメグのお父さんのお勧めのとりカツ弁当なる九州限定弁当を、メグの運転で買いに行った。九州は「ほか弁」、「ほっかほか亭」という名称ではなく「ホットモット」だった。
とりカツ弁当は美味かった。「ほか弁」より安めで390円。海苔弁は290円だった。

なんか、自分ばかり美味いもん食べてすまない、ネコちゃん。

前日からメグに夜行バスの予約を任せてたら、もう既に予約が取れなくなっていた。
私もメグも6日は仕事があった。
フェリーは新幹線と金額が変らないのなら、いっそ終電の新幹線で帰ることにした。財布が痛いなぁ。
某駅までジョオに車で送ってもらえることになった。

昼過ぎ、ジョオが自分の娘と4姉妹のお母さんとケーキを乗せてやって来る。
ケーキもやたらと美味かった。

寝てる時と食事の時だけおとなしいジョオの娘。

ジョオはなんかやたらとお腹を空かせていた。なんか食べに行こうということになる。
私とメグは10時くらいにとりカツ弁当食べてたのだが。
で、またジョイフル。
呆れたことに私は前回と同じメニューを注文。それだけマグロ丼とポテトクリームコロッケは美味かったのだよ。

食事が終わる頃、雨が降ってきた。エイミーは学校に傘を持って行ってないんで帰れないのでわ?ということで、そのまんまジョオのムーヴで学校まで迎えに行く。
エイミーを乗せ寿司詰めでメグの実家に戻った。
それから、帰り支度をして、ネコちゃんにお別れを言った。それが今生の別になってしまうかと思うと目頭が熱くなったがなんとかこらえた。

途中ベスの職場に寄った。
ベスに挨拶して、帰路に。
決して暗いムードではなく、始終明るく笑い話ばかりしていた。
某駅に着いた。まだ1歳にも満たないジョオの娘はちゃんとバイバイしてくれた。

快速で博多まで出てそこから新幹線のぞみ。
博多で少し土産を買った。のぞみの中で呑むビールも。

のぞみはまだ終電ではなかった。新大阪には10時ちょっと前くらいに着いてしまう。
のぞみに乗ると、メグは直ぐ爆睡してしまう。私はたまに喫煙所に行ったりしていたがどうにも暇だったんで、持ってきてた小説を読み出した。小説に夢中になってるとあっという間に新大阪に着く。
メグにどっか途中で降りて食事しようと言ったがこんな時間に空いてるのは、某駅前の24時間マクドくらいだ。
しかたなくそこへ寄った。

メグのケータイにメグの実家から着信があったので、ネコちゃんのことかと思い直ぐかけるように言った。
かけるとエイミーが出たようだった。
メグとエイミーのやり取りで、直ぐ内容を理解した。
メグはボロボロと泣きだし、アイラインとマスカラの混じった黒い涙を流した。
私ももはやこらえるのは無理だった。
人が少ないマクド内とはいえ、食事にも手を付けずボロボロと泣く男と女。みっともないと思うのだが、端から見たら何事に見えたのだろう…

3月5日 午後10時17分
ネコちゃんは、ベスとエイミーとそのお父さんに見守られ、ベスが心拍停止を確認したようです。
私がネコちゃんのところへ行ってる間は一度も鳴かなかったのに、最後にニャーと鳴いたそうです。
享年9歳だそうです。
ベスの彼氏くんが犬を連れて通る散歩コースに、とても景色がキレイな場所があるそうで、そこに埋葬するそうです。

つくづく6日に向かわず、2日に出発しといて良かったと思います。
色々もてなしてくれたメグの家族に心から感謝してます。

やけになつっこかったメスネコ。私が初めて会った頃は立っている私に向かって飛んできて太ももにへばりついたりしてました。セミみたいに。
小鳥が頭に止まっても、されるがままになってるネコ。
尻尾が長く、触ると先の方が二股になっていると分るネコマタのようなネコ。
メグが帰って来ることがまるで分っていたかのように待っていてくれたネコ。
そして、同じ日にメグの実家をさよならしたネコ。
星になったネコちゃんは、2000年代の想い出がいっぱい詰まったネコとしていつまでも輝き続けるのだと思う。

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