5日。
帰る日だった。
ネコちゃんの状態が更に悪化してるらしい。居間にこなくなってしまう。どうも動けなくなってしまってるようだった。
名前を呼ぶと尻尾をふって答えるのに、答えなかった。立とうとしてもべちゃっと倒れてしまって立てない。
小さく呼吸だけが続いていた。
その日の朝はメグのお父さんのお勧めのとりカツ弁当なる九州限定弁当を、メグの運転で買いに行った。九州は「ほか弁」、「ほっかほか亭」という名称ではなく「ホットモット」だった。
とりカツ弁当は美味かった。「ほか弁」より安めで390円。海苔弁は290円だった。
なんか、自分ばかり美味いもん食べてすまない、ネコちゃん。
前日からメグに夜行バスの予約を任せてたら、もう既に予約が取れなくなっていた。
私もメグも6日は仕事があった。
フェリーは新幹線と金額が変らないのなら、いっそ終電の新幹線で帰ることにした。財布が痛いなぁ。
某駅までジョオに車で送ってもらえることになった。
昼過ぎ、ジョオが自分の娘と4姉妹のお母さんとケーキを乗せてやって来る。
ケーキもやたらと美味かった。
寝てる時と食事の時だけおとなしいジョオの娘。
ジョオはなんかやたらとお腹を空かせていた。なんか食べに行こうということになる。
私とメグは10時くらいにとりカツ弁当食べてたのだが。
で、またジョイフル。
呆れたことに私は前回と同じメニューを注文。それだけマグロ丼とポテトクリームコロッケは美味かったのだよ。
食事が終わる頃、雨が降ってきた。エイミーは学校に傘を持って行ってないんで帰れないのでわ?ということで、そのまんまジョオのムーヴで学校まで迎えに行く。
エイミーを乗せ寿司詰めでメグの実家に戻った。
それから、帰り支度をして、ネコちゃんにお別れを言った。それが今生の別になってしまうかと思うと目頭が熱くなったがなんとかこらえた。
途中ベスの職場に寄った。
ベスに挨拶して、帰路に。
決して暗いムードではなく、始終明るく笑い話ばかりしていた。
某駅に着いた。まだ1歳にも満たないジョオの娘はちゃんとバイバイしてくれた。
快速で博多まで出てそこから新幹線のぞみ。
博多で少し土産を買った。のぞみの中で呑むビールも。
のぞみはまだ終電ではなかった。新大阪には10時ちょっと前くらいに着いてしまう。
のぞみに乗ると、メグは直ぐ爆睡してしまう。私はたまに喫煙所に行ったりしていたがどうにも暇だったんで、持ってきてた小説を読み出した。小説に夢中になってるとあっという間に新大阪に着く。
メグにどっか途中で降りて食事しようと言ったがこんな時間に空いてるのは、某駅前の24時間マクドくらいだ。
しかたなくそこへ寄った。
メグのケータイにメグの実家から着信があったので、ネコちゃんのことかと思い直ぐかけるように言った。
かけるとエイミーが出たようだった。
メグとエイミーのやり取りで、直ぐ内容を理解した。
メグはボロボロと泣きだし、アイラインとマスカラの混じった黒い涙を流した。
私ももはやこらえるのは無理だった。
人が少ないマクド内とはいえ、食事にも手を付けずボロボロと泣く男と女。みっともないと思うのだが、端から見たら何事に見えたのだろう…
3月5日 午後10時17分
ネコちゃんは、ベスとエイミーとそのお父さんに見守られ、ベスが心拍停止を確認したようです。
私がネコちゃんのところへ行ってる間は一度も鳴かなかったのに、最後にニャーと鳴いたそうです。
享年9歳だそうです。
ベスの彼氏くんが犬を連れて通る散歩コースに、とても景色がキレイな場所があるそうで、そこに埋葬するそうです。
つくづく6日に向かわず、2日に出発しといて良かったと思います。
色々もてなしてくれたメグの家族に心から感謝してます。
やけになつっこかったメスネコ。私が初めて会った頃は立っている私に向かって飛んできて太ももにへばりついたりしてました。セミみたいに。
小鳥が頭に止まっても、されるがままになってるネコ。
尻尾が長く、触ると先の方が二股になっていると分るネコマタのようなネコ。
メグが帰って来ることがまるで分っていたかのように待っていてくれたネコ。
そして、同じ日にメグの実家をさよならしたネコ。
星になったネコちゃんは、2000年代の想い出がいっぱい詰まったネコとしていつまでも輝き続けるのだと思う。
PR