大好きな諸星大二郎の新刊、「闇の鶯」を読んだが、まだ感想文を書いてなかったな。
なんだか再結成したモノクロームセットを聴いたような感じだ。って、ソレってどんな感じやねん? 分る人にしか分らん例えでスマン。
モノクロームセット、ポストパンク時代のイギリスのアンダーグラウンドシーンのギターポップバンド。
私はリアルタイムで聴いてて大ハマりした。が、結局売れずに解散。
モノクロームセットの影響を受けたバンドは売れるというジンクスがあるとかないとか。スミス、REM、日本ではフリッパーズギターなどがその影響を口にしてるほど。
消えてしまうには惜しいということで、日本の熱狂的なファンとフリッパーズギターの強いリクエストにより再結成し来日も果たしたが、熱狂的なファンのほとんどはガッカリしたという。
ガッカリした理由として、曲の演奏力は向上してるのだが、なんだか曲がまるくなってしまった感じ。ポップ過ぎ。トゲトゲしさが無くなった。
モノクロームセットの1stと2ndのような輝きが無いのである。で、ライヴは懐メロ大会だし。
ここからが肝なのだが、
再結成したモノクロームセットの音源。過去のモノクロームセットを知ってるからガッカリするのであって、モノクロームセットとして知らずに聴いてたとしたら(ヴォーカルの声でモノクロームセットって分っちゃうけどね)、そこそこ良いサウンドなのである。
それと同じことが諸星大二郎の新刊にも当てはまる。
大好きな諸星大二郎だから、ガッカリしてしまうのであって、もし新人の漫画家が描いてたとしたら面白いと言うと思う。
「妖怪ハンター」、「栞と紙魚子」、「諸怪志異」各シリーズ共通で2巻以降なんかダレてくるというのがある。1、2巻は凄い面白いのに。
漫画家は職人だと思うが、諸星大二郎が段々職人化してゆきイマイチくんになるのではないか。職人化、こなれて描くようになってるのだと思う。
初期作品に比べ、ギラギラしたものもない。
絵のイマジネーションの凄みは相変わらずなのだが…
「闇の鶯」、特に「人魚の記憶」という短編のオチは、そりゃあないだろう!と思わず突っ込んでしまった。
こなれて描いてるように思えるのもあるだろうし、時代のせいなのかもしれない。
「バイオの黙示録」は面白かったりしたので。
黒澤明の映画が段々イマイチになってゆくのと同じなのかも。
フェリーニの映画も同じく。
キューブリックはボケが入ってたとしか思えない「アイズワイドシャット」。
でも、諸星せんせいってそんなに歳だっけ?
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