今年9月の記事だったと思うけど、カート・小判について書いた。「尾崎豊に次いで脱力な死にっぷり?」って。
カート・小判に対して、ちと毒舌過ぎたかな?と思い、ちょろりとネット検索してみた。が…
小判、確かに自殺だった。で、ヘロイン中毒だったとは知らなかった。
遺書に関しては、ラリった勢いで書いたかもしれないねぇ。
ひょっとして、デニス・ホッパーが監督した「アウトオブブルー」を観て、頭をぶち抜いたのかも…
でもどう考えても、頭をぶち抜くことが、「錆び付くより燃え尽きた方がいい」ってことになると思えないけどなぁ。
「尾崎豊」はやはり、言い過ぎというわけでもなかったな。
もう検索に引っかかって叩かれてもかまわない。
「ニルヴァーナ」のヴォーカリスト、nirvana、「カート・コバーン」。
もうハッキリ書いてやらぁ。
そんなもん聴いてロックだと、伝説のロッカーだと持ってるやつは「アホ」だと。
そんなやつはコバーンの後追い自殺でもして死んでしまいなさい。
ロッカーというのはどうも若くして死ぬと神格化されやすい。まぁオレもジミヘンの死は勿体ないと思う。
でも、よく考えてみ。コバーンて単なる大人になりそこねたガキじゃない?
ロッカーというのは、職業がロッカーになった瞬間から「お仕事」であり「ビジネス」であり「商売人」になってしまうのは必然だ。だからロッカーはそういった矛盾を抱え悩む。
悩みながらも続けてゆく。あるいは大人なら「お仕事」であることを受け入れる。
苦しいから、じゃあ死んじゃえって逃げる方が、負け犬じゃないか。
売れなくても地道に活動を続けてるミュージサンの方が、どう考えてもかっこいじゃないか。評価に値するじゃないか。苦しくても頑張ってるんだな、と。
コバーンよ、キミはニール・ヤングの歌詞のように燃え尽きたのでは決してない。
単に逃げたのだ。勘違いもほどほどにしてくれ。
キミは自殺した分、尾崎豊より更に劣るバカだ。
同時代のアメリカのバンドなら、ゼイ・マイト・ビィ・ジャイアンツの方が全然魅力的だ。
まぁ、オレはニルヴァーナのCDをただで貰ったとしても、ゴミ箱に捨ててしまうという、音楽性すら理解したくない人間だけど。
コバーンの妻はどうなのか知らないけど、以前「ホール」のCDを貰ったことがある。
でもコバーンの妻のバンドというだけで、一聴もせず捨ててしまった。
というのはウソで、いちおPCの中に入れてある。
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